自衛隊はアメリカを守る警察隊であって、私たちを守ってくれない。もちろん米軍も私たちを守る気はない。唯一、守ってくれるものがあるとすれば、憲法9条くらいだ。
--島田雅彦「パンとサーカス」P251
自衛隊はアメリカを守る警察隊であって、私たちを守ってくれない。もちろん米軍も私たちを守る気はない。唯一、守ってくれるものがあるとすれば、憲法9条くらいだ。
--島田雅彦「パンとサーカス」P251
一連の外圧は日本の統治システムを根本から変えるきっかけになったが、逆に外圧がなければ、何も変わらず、停滞し、腐敗する。まさにそれこそが日本の元型である。そもそも、『古事記』に国譲りの神話として記されているのは、大陸から九州に渡ってきた渡来人が先住民から国を譲られたという話である。期内全域を統一した渡来人たちは、出雲の先住民と敵対関係になったが、彼らから国を譲られたという体裁で、出雲国を大和朝廷に併合したのだ。そして、国譲りの後、出雲国の人々は追い立てられ、九州や東北に安住の地を求めた。彼らはそれぞれ隼人、蝦夷(えみし)と呼ばれ、大和朝廷の征伐の対象となった。
日本列島を二分する渡来人と先住民の熾烈な生存競争は源平合戦の時代まで続いたといっていい。東西文化の差異も、東北と関西の反りが合わないのも、ここに由来する。そして、国譲りの神話はその後も外圧が強まるたびに想起され、近代以降はアメリカとの間で、戦争、占領、間接統治、従属的同盟という形で反復されることになる。
--島田雅彦「パンとサーカス」P38
天皇制支配層は、全般として右も左もわからなくなった。もうどいつもこいつも共産主義者に見えてくる。だがしかし、このような惑乱の中でこそ、国体とは何であるのかという問題は、かえって明瞭に把握可能なものとして現れている。否、近衛らが惑乱していたと考えるべきではないのだ。むしろ彼らは、国体の本質を実に正確にとらえて表現することができたという意味で、あくまで明晰であった。その本質は、「国体を否定する者=共産主義者=左右を問わない革新論者」という定式にはっきりと現れている。どれほど熱烈に国体を支持するもの(すなわち、右翼)であっても、「革新」を口にした途端、その者は「左翼」と分類されるべき存在となる。してみれば、国体とは、一切の革新を拒否することにほかならない。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P182
条約締結交渉にあたって決定的な重要性を帯びたのは、日米のどちらが米軍の駐留を希望するのか、という点であった。無論、「希望」を先に述べた側が、交渉における主導権を相手に譲ることとなる。したがって、外務省・吉田首相は、朝鮮半島情勢の切迫を背景に、米国にとっても軍の日本駐留が死活的利害であることを十分に認識し、「五分五分の論理」を主張する準備と気構えを持っていた。しかし、この立場が結局放棄されるのは、昭和天皇が時に吉田やマッカーサーを飛び越してまで、米軍の日本駐留継続の「希望」を訴えかけたことによる、と豊下は言う。その結果、一九五一年の安保条約は、「ダレスの最大の獲得目標であった「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を、文字通り米側に“保障”した条約」として結ばれることとなる。また、これらの過程で、沖縄の要塞化、つまりかの地を再び捨て石とすることも決定されていった。「要するに、天皇にとって安保体制こそが戦後の「国体」として位置づけられたはずなのである」。そしてこのとき、永続敗戦は「戦後の国体」そのものとなった。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P169
日本が米国の属国にほかならないことを誰もが知りながら、政治家たちは日米の政治的関係は対等である(少なくとも対等なものに近づきつつある)と口先では言う。このことは、一種の精神的ストレスをもたらす。一方で「我が国は立派な主権国家である」と言われながら、それは真っ赤な嘘であることを無意識の水準では熟知しているからである。領土問題に典型的に現れるように、対アジア関係となると「我が国の主権に対する侵害」という観念が異常なる昂奮を惹起するのはこの精神構造ゆえである。無意識の領域に堆積した不満はアジアに対してぶちまけられる。言うなれば、それは「主権の欲求不満」の解消である。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P140
米国から見れば、中国の台頭、その政治的プレゼンスの巨大化は抑えがたいものとなりつつあり、これを単独で抑制するためのコスト負担にはもう耐えられない。また、中国と日本とが接近・協同して、米国中心の世界秩序への挑戦を企てることこそが最悪の構図であり避けられるべきである。したがって、日中の関係に一定の楔を打ち込んでおくこと、その関係が決して親密にならないよう火種を残しておくことが、重要な戦略であり、軍産複合体の利益にもかなう。そして、同様の構図は、日韓・日露間の関係に対しても多かれ少なかれあてはまる。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P136
日朝国交正常化交渉は、核兵器・ミサイル、そして拉致問題に関係すると同時に、朝鮮半島に対する日本の植民地支配の後始末、つまり日本の敗戦後処理を行なう場でもあった。そしてこのことは、先に見たように、平壌宣言・第二条において扱われた。北朝鮮は、日本側の謝罪と反省の言葉受け入れ、実質的な賠償を得るものの公式な賠償請求を放棄することに同意したが、このことは拉致問題を事実上「水に流す」ことと引き換えになされるものとされた。してみれば、平壌宣言の破棄が実行されるならば、それは日本の戦後処理の否定をも論理的に意味することとなる。言い換えれば、植民地支配の過去が「水に流された」ことを否定することとなる。日本社会が認知できず、政府が踏み込むことができないのは、まさにこの点である。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P109
両国政府は千九百五年以前の歴史書等における記述を援用して自らの主張を根拠づけようとしており、古くは新羅や百済といった時代(六世紀)までもが言及されている。まさに「古反故への熱狂」そのものであるが、滑稽な事態であると言うほかない。なぜなら、近代主権国家の成立以前の世界において、国境線は現在よりもはるかに曖昧であり、人々の国家への帰属の意識、国民としての自覚も現代とは大きく異なるものであったからである。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心P92
ここ(日ソ共同宣言)において、世に言う「ダレスの恫喝」が行われる。すなわち、当時の米国務長官、ジョン・フォスター・ダレスが、鳩山に先立ってソ連と交渉していた重光葵外相(当時)に向かって、「この条件に基づいて日ソ平和条約締結へと突き進むのならば、米国は沖縄は沖縄を永久に返さないぞ」という主旨の発言を行ない、介入したのである。その論理は、日本はサンフランシスコ講和条約において千島列島をすでに放棄している以上、自ら領有していないもの(具体的には、択捉島と国後島)を米国の許可なく他国に譲ることはできない、というものであった。
これはまことに恐るべき強弁にほかならなかった。サンフランシスコ講和条約においてほかならぬ米国が千島列島の放棄を日本に強いておきながら、後になってその放棄を盾にとって「お前の持っていないものを他人に譲ることはできない」と迫ったのである。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心P81
ここでまず問題になるのは、日本政府はその領土的主張の根拠をサンフランシスコ平和(講和)条約に求めているわけであるが、中華人民共和国はサンフランシスコ講和条約に代表派遣を拒否されている、という事実である。そのため、中国側は、サンフランシスコ平和条約そのものの有効性を認めていない。ゆえに、中国側からすれば、日中間の領土的原則の根本はポツダム宣言にこそ求められる、という立場が設定されることとなる。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P65