ここ(日ソ共同宣言)において、世に言う「ダレスの恫喝」が行われる。すなわち、当時の米国務長官、ジョン・フォスター・ダレスが、鳩山に先立ってソ連と交渉していた重光葵外相(当時)に向かって、「この条件に基づいて日ソ平和条約締結へと突き進むのならば、米国は沖縄は沖縄を永久に返さないぞ」という主旨の発言を行ない、介入したのである。その論理は、日本はサンフランシスコ講和条約において千島列島をすでに放棄している以上、自ら領有していないもの(具体的には、択捉島と国後島)を米国の許可なく他国に譲ることはできない、というものであった。
これはまことに恐るべき強弁にほかならなかった。サンフランシスコ講和条約においてほかならぬ米国が千島列島の放棄を日本に強いておきながら、後になってその放棄を盾にとって「お前の持っていないものを他人に譲ることはできない」と迫ったのである。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心P81