危機が深刻化すればするほど、人々の目的は生き延びることだけになり、立ち止まる余裕を失ってしまう。そうなってからでは遅いのだ。強いリーダーが市民の自由を極度に制限しても、それで命が救われるならと、その体制を受け入れることになるだろう。その先に待っているのは、自国民優先のナショナリズムと非民主主義的な強権体制、気候毛沢東主義である。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P228
危機が深刻化すればするほど、人々の目的は生き延びることだけになり、立ち止まる余裕を失ってしまう。そうなってからでは遅いのだ。強いリーダーが市民の自由を極度に制限しても、それで命が救われるならと、その体制を受け入れることになるだろう。その先に待っているのは、自国民優先のナショナリズムと非民主主義的な強権体制、気候毛沢東主義である。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P228
(フランスの)市民議会の特徴は、なんといっても、その選出方法である。選挙ではなく、くじ引きで、メンバーが選ばれるのだ。ここに選挙で選ばれる国会との決定的な違いがある。もちろん、くじ引きといっても完全にランダムではなく、年齢、性別、学歴、居住地などが、実際の国民の構成に近くなるように調整される。
そして、市民議会においては、専門家がレクチャーを行い、そのうえで参加者は議論を行い、最終的には、投票で全体の意思決定をする。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P217
共産主義社会のより高度な段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働の対立がなくなったのち、労働が単に生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一生命欲求となったのち、個人の全面的な発展にともなって、またその生命力も増大し、協同的富のあらゆる泉が一層豊かに湧きでるようになったのちー―そのとき初めてブルジョア的権利の狭い限界を完全に踏みこえることができ、社会はその旗の上にこう書くことができるーー各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて!
「人新世の資本論」P200
IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。
なぜだろうか? そもそも、電気自動車に代えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない。バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくからだ。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P90
富裕層トップ10%の排出量を平均的なヨーロッパ人の排出レベルに減らすだけでも、1/3程度の二酸化炭素排出量を減らせるという。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P82
資本主義は、コストカットのために、労働生産性を上げようとする。労働生産性が上がれば、より少ない人数で今までと同じ量の生産物を作ることができる。その場合、経済規模が同じままなら、失業者が生まれてしまう。だが、資本主義のもとでは、失業者達は生活していくことができないし、失業率が高いことを、政治家たちは嫌う。そのため、雇用を守るために、絶えず、経済規模を拡張していくよう強い圧力がかかる。こうして、生産性を上げると、経済規模を拡大せざるを得なくなる。これが、「生産性の罠」である。
資本主義は「生産性の罠」から抜け出せず、経済成長を諦めることができない。そうすると、今度は、気候変動対策をしようにも、資源消費量が増大する「経済成長の罠」にはまってしまう。
だから、科学者たちも、資本主義の限界に気づき始めたのである。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P70
経済学者ケネス・E・ボールディングはかつて「指数関数的な成長が、有限な世界において永遠に続くと信じているのは、正気を失っている人か、経済学者か、どちらかだ」と述べたとされる。それから半世紀以上がたち、環境危機がこれほど深刻化しても、まだ私たちはひたすら経済成長を追い求め、地球を破壊している。経済学者的な思考は、それほど深く、日常に根づいてしまっているのだ。私たちは「正気を失っている」のかもしれない。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P38