ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒは、このようにして、代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠だと指摘する。これを「外部化社会」と彼は呼び、批判するのだ。
先進国は、グローバル・サウスを犠牲にして、「豊かな」生活を享受している。そして、「今日だけでなく、明日も、未来も」この特権的な地位を維持しようとしているとレーセニッヒは断罪する。「外部化社会」は、絶えず外部性を作り出し、そこにさまざまな負担を転嫁してきた。私たちの社会は、そうすることでのみ、繫栄してきたのである。
--斎藤幸平「人新世の資本論」P30