サンフランシスコ講和条約・第二章・第二条(c)項には、「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」、と書かれている。この条文は、
すでに確認した戦後日本の領土画定の原則から明白に逸脱するものであった。なぜなら、南樺太は日露戦争の結果として日本がロシアから獲得したものであり、これが日本から失われることは原則にかなっていた一方で、千島列島は一八七五年に締結された樺太・千島交換条約によって平和裡に日本領土へと編入されたものだからである。それにもかかわらず、時の吉田政権は、この条文を呑んでしまった。その事情についてはここでは縷述しないが、簡潔に言えば、ヤルタ密約の存在、ならびに中国の共産化と朝鮮戦争という東西対立の高まりを背景として、米国がソ連による千島列島の実効支配を暗黙裡に容認したがゆえに、原則からのこのような逸脱が生じたと見るべきであろう。ここで何よりも重要なポイントは、日本が千島列島を放棄することに同意した、という事実である。
--白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」P78