大量生産、大量流通、大量消費、大量廃棄という資本主義のシステムを活発に回すためには、どうしても消費単位の分断が必要になってくる。だから、共同体の解体が官民あげてのキャンペーンで進められた。これはことの筋目としては当たり前のことなんです。四人家族がばらばらになれば、住む部屋は四箇所いるし、冷蔵庫も四台いるし、テレビも四台いる。電話だって一家に一台が一人携帯一台になることで通信市場は劇的な拡大を遂げた。共同体の解体すなわち消費市場のビックバンなんです。共同体が解体すると、必要なものは誰も貸してくれない。誰とも共有できない。だから、いるものは全てワンセットそろえなければならない。
コピーライターの糸井重里さんが作った西武百貨店の広告に、「ほしいものが、ほしいわ」というのがありましたね(1988年)。あれは身体的なベースでの消費要求というものがなくなったことの表現ですよね。衣食住の基本的なニーズが満たされた。これからあと何のために消費したらよいのか、わからない。少なくとも身体的な欲求はもう充足された。あとは商品に対する幻想的な欲望を喚起する以外に経済成長しないという現実を活写した名コピーだったと思います。そして象徴的なのは、その糸井さんが、同時期に書いた小説のタイトルが『家族解散』だということです。
これは消費活動の軸足を身体的な欲求から幻想的な欲望に移すためには家族共同体が邪魔になったと言う日本社会の消息を見事に伝えていると思います。
--内田樹「若者よマルクスを読もうⅡ」P52