立派な学者の意見をそのまま信じるより、多様な意見を聞いて自分だけの結論を出す方が自信をもって次に進めるのだ。
--堤未果「社会の真実の見つけかた」P210
立派な学者の意見をそのまま信じるより、多様な意見を聞いて自分だけの結論を出す方が自信をもって次に進めるのだ。
--堤未果「社会の真実の見つけかた」P210
池上六朗先生が前にこう言われてました。「悩み」というのは考えても解決がつかないこと、「問題」というのは具体的な解決の手順がわかっていること(でも、やるのはけっこうたいへん)。「悩み」を「問題」に変換するのが生きる要諦である、と。
よく「問題解決能力」という言い方をしますけれど、ほんとうはあれは「悩みを問題に変換する能力」のことなんだと思いますう。重大な問題はちょっと能力があったくらいでは解決しません。でも、「この方向でこつこつと努力を積み上げて行けばいつか解決する」という見通しを立てることならできる。
アントニオ猪木の名言に「ピンチというのは厄介ごとがダマになっている状態のことで、厄介ごとを一つ一つ解決してゆけばピンチは脱出できる」というものがあります。けだし名言。この「ピンチ」と「厄介ごと」は「悩み」と「問題」と同じことだと思います。
高校生たちが無力感に囚われるのは「悩み」と「問題」、「ピンチ」と「厄介ごと」を区別する仕方をまだ学んでいないからではないでしょうか。これ難しいんですよね。国際関係論では「危機」をdanger とriskに分類するそうですけれど、アイディアは同じですね。
--内田樹(2018年10月29日のTweet)
物語の中にわざわざ政治家や大金持ちや有名人を登場人物として出
--内田樹「街場の戦争論」P270
複雑な問題、トラブルを大人の感覚で処理しようとするから、
--桜井章一「強さの奥義」P20
単一の仮説が勝利して、それが信仰箇条となるより、集団内に様々な仮説が対話しながら併存していることで、集団としての叡智が機能するなら、それが一番いいかたちだと僕は思います。
--内田樹「日本戦後史論」p83
自分がやっていることを支える価値観が正しいと思い始めたとたんに、手段を正当化してしまう。そうするから、行動原理が暴走してしまうのです。自分の思っていることを、あまり正しいと思い詰めないことです。それより、手段が正しいかどうかについて、議論をすべきです。
--孫崎享「いま語らなければならない戦前史の真相」P252
結局、きちんと責任を与えないと人は育ちません。
(中略)
そして、責任を取るというのは、トラブルが起こった時に怒られたり、謝ったりするということではありません。ある物事について、自らの権限で最終判断をするということですよ。
--養老孟司「文系の壁」P146
1964年に木材の関税が撤廃されて外材がどんどん入ってくるようになり、日本の木材は売れなくなった。でも、それ以外は、日本の木材は国際価格の三倍で売れていたんです。吉野杉が一本300万円とか、そういう時代だった。その頃の記憶が、林業をやっている人たちの中にいまだに生きているんです。「また、ああいう時代が来ないかな」と思っているから、その人達は絶対に現在の林業を改革しようとしない。だから、70年代以降の日本の林業は駄目になってしまった。森林って息の長いものだから、本当は、将来を考えて、ちゃんと手入れしておかなければいけないのに放置したんです。状況で儲かってしまったから、その後怠けてしまった。
養老孟司「文系の壁」P101
八方ふさがりに自分を追い込んじゃうというのも、結構いいんです。必ず、一番抵抗がない所があるはずでしょう?東に行っても西に行っても駄目。南に行っても北に行っても駄目。だったらどうするかというときに、僕が好きなイタリアの言葉があります。「どん底に落ちたら、掘れ」というんです(笑)。普通、掘ることは考えない。でも、ほかに行けないとしたら、掘るしかないんですよね。そうしたら、地面は意外に柔らかいかもしれない。どんどん掘ればいいんですよ。
--養老孟司「文系の壁」P90
「プロの条件」とは「自分に厳しく」ではなく、「クライアントに優しく」である。
--内田樹「態度が悪くてすみません ――内なる「他者」との出会い」私のハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生