1860年、英仏軍が北京を占領しました。このときに結ばれた北京条約で特筆すべきは、清に中国人の海外渡航を認めさせたことです。目的は労働力の輸出です。大英帝国は、マラッカ、ビルマ、シンガポールなどを得て、東南アジアにいくつもの橋頭堡を作りつつありました。二次にわたるアヘン戦争で得た賠償金をつぎ込みますが、港湾建設や都市の造営には、安価な大量の労働力が必要です。そのために中国人を利用しようと考えました。そこで中国人の移民を認めさせたのです。この中国人たちをクーリーと呼び、苦力と表記しました。まさに奴隷のようなものでした。
--出口治明「全世界史(下)」P279