「ジャズとは、連帯感を失うことなしに、個人の自由を発揚することのできる音楽である」
--デイヴ・ブルーベック「琉歌幻視行」竹中労 P327
「ジャズとは、連帯感を失うことなしに、個人の自由を発揚することのできる音楽である」
--デイヴ・ブルーベック「琉歌幻視行」竹中労 P327
炭坑節は、昔、田端義夫が歌っていた「十九の春」
過酷な石炭採掘に駆り出された労働者の序列を見てみると、
--姜尚中「世界「最終」戦争論」P136
マイケルの思想はどの作品にも明確に示されているが、たとえばグラミー賞のレジェンド・アウォードの受賞演説で、直接、言葉で表現されている。その中で彼は、次のように述べた。
──私の考えでは、今日の世界が抱える問題は、都心部の犯罪から大規模な戦争やテロ、満員の刑務所に至るまで、子供から子供時代が奪われてきた、という事実の結果に他なりません。子供の心に宿る魔法、不可思議、神秘、純真こそが、創造性の種子であり、それが世界を癒すのです。私は本当にそう信じます。私たちが子供から学ぶべきことは、子供っぽさではありません。子供とともにいることで、私たちはより深い生命の智慧へと導かれ、それは常にここにあり、生きられることのみを求めるのです。ここに、私たち自身の心の中にあり、気づかれるべく待機している、解決策へと至る道があります。
--安冨 歩「マイケル・ジャクソンの思想」
心が平安でなく、「自分は悪い子なのではないか」と内心で怯えている人は、外部からの「評価」という名の脅迫に弱い。自分が悪い子ではない、ということを誰かに確認してもらわないと、恐ろしくてたまらないからである。かくしてそういう人は、善悪の判断基準を外部に求め、それに従って思考し、行動することになる。しかし、他人の視線のなかで、他人の地平をスムーズに生きるとき、人は決して平安を見いだすことができない。なぜなら平安とは自分で感じるものであって、人に与えてもらえるものではないからである。
--安冨 歩「マイケル・ジャクソンの思想」
友人に勧められるままにブログを始めてみたものの、思っていた通り続きません。
せめて、備忘録に2010年をかるく振り返ってみます。
2010年に見に行ったライヴ(音楽)はこんな感じ。
昨年はかなりの当たり年でした!
キャロル・キング&ジェームス・テイラー
モノブロコ
マリーナ・ショウ
この3つは特に素晴らしかった!
マリーナ・ショウのライヴに行ってまいりました。
マリーナ・ショウといえば名盤「who is this bitch, anyway? 」。
というか、他のアルバムは聴いたことはありませんが、なにしろ今回のライヴは「"who is this bitch, anyway?" リユニオン・ツアー」と銘打たれており、メンバーも
チャック・レイニー(Bass)、デヴィッド・T.ウォーカー(Guitar)、ラリー・ナッシュ(Keyboards)、ハーヴィー・メイソン(Drums)
ということで、これは嫁を質に入れてでも見に行かなければなりません。
幸い金策が叶い、嫁を質に入れることなく観に行くことができました。
今年は個人的に外タレの来日が当たり年ですが、このライヴはその中でも1、2を争う素晴らしいものでした。
マリーナ・ショウの貫禄の歌唱も素晴らしかったのですが、兎にも角にもデヴィッド・T.ウォーカーのギターの素晴らしさ!
ひとことで表すなら「とろけるギター」!
甘~いフレーズの連続に私もめろんめろんにとろけまくりでございました。
またこれが“いい顔”で弾くんですね。もうすっかりファンになってしまいました。
普段割りと冷静な私ですが、この日はすっかり興奮してしまい、最後にはステージに駆け寄り、デヴィッドT爺に握手を求めてしまいました。
20代の頃の自分では分からなかったであろうこのギターの素晴らしさ。年を経るに従ってこうやって少しずつ感性が熟成していくのが、音楽を聴き続ける楽しであるなぁ、と改めて実感した夜でした。