ゆがめられた名はすべて実のない虚構で固められ、以後正しい対処が行われることはない。そして、手のつけようもない混乱と悲惨とを招くことになる。
正しい名で語らず、正しく理解しないことがいかに罪深く、取り返しのつかない災いを招くか。
--飯嶋和一「星夜航行(下巻)」P232
真実を教えることよりも、それを自分で見つけるやり方を教える方がずっと大切。
「待つ」ことの価値が、決して数字で測れない大きなリターンをもたらす。
--堤未果「社会の真実の見つけかた」P226
生徒が疑問を口にすると、先生たちが嬉しそうににっこり笑う。答えをくれる代わりに、その問いを気のすむまで追いかけなさいと応援される。友だち同士の喧嘩やいじめ、恋愛に家族、将来の夢・・・起こることに善悪はない。逃げずに向き合い、深く考え、自分だけの結論を出すプロセスにこそ価値がある。
--堤未果「社会の真実の見つけかた」P225
立派な学者の意見をそのまま信じるより、多様な意見を聞いて自分だけの結論を出す方が自信をもって次に進めるのだ。
--堤未果「社会の真実の見つけかた」P210
本を読んだら、それについて人に語る、それについて書く、それにインスパイアされたことを実際にやってみる。そこまでしてはじめて本を読んだことになる。出力されない読書は実は読んでいないのと同じです。書いているうちに過去に読んだ本の意味がわかってくる。書きながら読んでいるのです。
--内田樹(2018年11月8日のTweet)
無意味な制度に無批判に従える「無意味耐性の高い子ども」は大人にほめられる代償に自らの知性を棄てているのです。
--内田樹(2018年10月30日のTweet)
池上六朗先生が前にこう言われてました。「悩み」というのは考えても解決がつかないこと、「問題」というのは具体的な解決の手順がわかっていること(でも、やるのはけっこうたいへん)。「悩み」を「問題」に変換するのが生きる要諦である、と。よく「問題解決能力」という言い方をしますけれど、ほんとうはあれは「悩みを問題に変換する能力」のことなんだと思いますう。重大な問題はちょっと能力があったくらいでは解決しません。でも、「この方向でこつこつと努力を積み上げて行けばいつか解決する」という見通しを立てることならできる。アントニオ猪木の名言に「ピンチというのは厄介ごとがダマになっている状態のことで、厄介ごとを一つ一つ解決してゆけばピンチは脱出できる」というものがあります。けだし名言。この「ピンチ」と「厄介ごと」は「悩み」と「問題」と同じことだと思います。高校生たちが無力感に囚われるのは「悩み」と「問題」、「ピンチ」と「厄介ごと」を区別する仕方をまだ学んでいないからではないでしょうか。これ難しいんですよね。国際関係論では「危機」をdanger とriskに分類するそうですけれど、アイディアは同じですね。
--内田樹(2018年10月29日のTweet)
知性とは驚く力のことである
--ロラン・バルト
戦前は、天皇に忠誠を誓うのが「正しい」ことだった。戦後はそれが否定され、高度経済成長期には、豊かになることが「正しい」とされた。きっと、いまも、なにか「正しい」ことがあって、それに、みんな従うのだろう。
「正しい」ことは時代によって異なるが、弱々しい「自分の考え」より、みんなが支持する「正しい」考えが優先される社会のあり方は変わらない。だとするなら、麻原を処刑しても社会は、自分とそっくりな、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続けるような気がするのである。
--高橋源一郎「歩きながら、考える」
孤独には毒が含まれている。一人でいると、自分の毒に当たってしまうので、誰かに中和してもらわなければならない。
--島田雅彦「カタストロフ・マニア」P73