人は群れる動物だ。一人では生きられない。でも群れは時として暴走を起こす。そんな時人はとても残虐になる。とても理不尽になる。悪人だからではない。一人ひとりは善人だ。でもその善人が周囲と同じ動きをしようとするとき、集団は時として大きな過ちを犯す。そして宗教は、人が集団で暴走するとき、その大義やきっかけにされることがとても多い。
--森 達也「神様ってなに?」P144
宗教の持つ一種の魅力というか魔力に引きずり回されないためには、やはり自分の在り様や立ち位置、また生きる方向性についてきちんと向き合う作業が必要だと思います。そこに無自覚だと、呪術に振り回されることになります。
--釈 徹宗「現代霊性論」P85
すでに人口に膾炙している情報を、いつの間にか自分の意見として信じ込んでしまうと、その結果、誰かの都合のよい方向に誘導されたり、操作されることがあるという自覚は必要ですね。その自覚の有無が、大人と子どもの分岐点なのかもしれない。
--釈 徹宗「現代霊性論」P54
育児というのは苦役でも自己実現の妨害でもなかった。それどころかほんとうに愉快な経験だったし、何より僕自身の成長を妨げていた幼児的な権力欲や競争心を無害化してくれた。
--内田樹「現代霊性論」 P52
一度上げた生活レベルは下げられません、って。それってただの「おまじない」だろ。
--内田樹「沈む日本を愛せますか?」P308
和洋折衷をなしとげるために衰えているのは「洋」じゃなくて実は「和」のほうなんだと思う。「洋」の概念っていうのは、外国からいくらでも入ってくる。ポストモダン期にもおもしろい概念は外国からいっぱい入ってきたんだけども、それを受け止めるだけのコロキアルな日本語の成熟が伴わなかったんで、概念だけが立ち枯れしちゃった。
--内田樹「沈む日本を愛せますか?」P33
人間としての品格は、形而上的な価値観に、自分の命以上のものを感じたときに出てくるのだと思います。観念的なものに価値を認め、それを大事にした武士は、当時の日本人のみならず、西洋の人々から見ても見事に映ったのだと思います。
--甲野善紀 「武」P131
剣道を学んでいる人で「初心を忘れないように、八段になった今でも毎日、基本どおりに素振りしている」といったことを言う人がいますが「センスがないな」と思います。才能がある人ならば、初心者のころの素振りと現在とでは、素振りの質はまったく違っていると思います。それが「初心と変わらない」というのは、質的な変化が起こっていない証拠。単に振り慣れたというレベルです。「初心忘るるべからず」というのは、物事に取り組む心構えの大事さを言っているのであって、動きではありません。
--甲野善紀 「武」P120
あるレベルまで行ってしまうと、それまで稽古してきた型はその人自身によって否定されることがしばしばあります。その意味で、新しい技を使えるようになって、「これは行けそうだ」と思ったときが罠。そこに満足していると次に行けないから、常に「やがて捨てるつもり」で取り組まなければなりません。
--甲野善紀 「武」P119
達成感はある面、進歩の敵です。もちろん、ある程度は必要ですが、それで満足してしまってはダメ。喜びつつも、絶えず飢えているような状況に持っていく。がっかりさせてはだめですが、「まだまだ」と、貪欲になるように自分を持っていくのがコツです。
--甲野善紀 「武」P102