宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない。人はなぜ向上しなければならないか、と開き直って問われると、今の私には「いったん向上の道にいそしむ味を覚えれば、それなしには何としても物足りないから」としか答えられないが、向上なく理想もない世界には住めない。だから私は純理性の世界だけでも、また宗教的世界だけでもやっていけず、両方をかね備えた世界で生存し続けるのであろう。
岡潔「数学する人生」(情緒とはなにか)P180
算数教育は、まだわからない問題の答、という一点に精神を凝集して、その答がわかるまでやめないようになることを理想として教えればよいである。
--岡潔「数学する人生」(情緒とはなにか)P110
わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。
数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。
芸術も、やはり情的にわかっているものの表現です。芸術の場合、知的に表すだけではありませんが、やはり創造のはじめには、情的にわかっているものがある。
--岡潔「数学する人生」(最終講義)P38
忍耐で人は成長することができない。人は葛藤を通じてしか成長しない。--内田樹 ブログ「2016年の十大ニュース」
就職したら負けだと思って就職しない若者も多いんですけど、逆に言いたいのは「就職したら負けだ」と思わされたら負けだよ、ということです。幸せになる方法はそこではないよ、と。
--岡田斗司夫「評価と贈与の経済学」P173
変な話だけど、人間が評価されるのって尖ったところだよね。バランスのいい人で高く評価される人なんていないですよ。
--鈴木智雄「ニッポンの編曲家」P291
幼児虐待の悲惨な事例がしばしば報道されますけれど、あれだけ子供を残酷に扱えるのは、加害者たちが異常に暴力的であったからというよりはむしろ、「子どもというのは親にとって『不愉快なもの』である」という考えがこの親たちには刷り込まれていたからだと思います。
--内田樹「街場の文体論」P188
学ぶ機会をシステマティックに退ける人に階層上昇のチャンスは訪れません。「オレは知っている」「オレはできる」「オレは誰にもものを頼まない」「オレは誰にも頭を下げない」ということを生き方の規律にしている人はそうすることによって階層下位に自分を呪縛しているのです。
--内田樹「街場の文体論」P128
「知りません。教えてください。お願いします」。学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、この三つのセンテンスに集約されます。自分の無能の自覚、「メンター」を探り当てる力、「メンター」を「教える気」にさせる礼儀正しさ。その三つが整っていれば、人間は成長できる。一つでも欠けていれば、成長できない。
マジョリティが危ない方向に向かっているとき、生き延びるためには、みんなは「向こう」に行くけど、自分は「こっち」に行った方がいいような気がするという、おのれの直感に従うしかない。そういう危機に対する「センサー」を皆さんには身につけていただきたいとおもうんです。
--内田樹「街場の文体論」P36