そこなんですよ、大事なのは。「身体は子供なんだけども」、「丸顔の中学生のくせに」と言うところ。その乖離の苦しさだけなんですよ。そこにズレがあるということを誰かにわかってもらえれば、「ズレで苦しんでいる自分」というものがもう一つ上の次元に繰り上がって、それ自体が考察や記述の対象になるでしょう。
そのときまでは、「ヴァーチャルな僕」と「生身の僕」が分裂しているわけですよね。文字を書いているのは「ヴァーチャルに大人になっている僕」だから、まわりの愚鈍な人間たちへの憎悪や軽蔑はあっても、自分が「現にまだ子どもであることの苦しみ」は言葉にできない。でも、自分と同じような種類の乖離に苦しんでいる友達に出会うと、「乖離と言う現象そのもの」を記述したり、考察したり、あるいは笑ったり……と言うことが可能になる。そのとき、「乖離という現象そのもの」について語っている「僕」は、もう「ヴァーチャルな僕」でも「生身の僕」でもないわけですよね。「第三の僕」がそこに出現する。中立的な語り手というか、第三者というか、一歩距離を置いて「僕を眺めている」語り手が。
そうなると、丸顔の中学生であるところの自分にもうまくなじめるというか、許せるわけですよね。
--内田樹「14歳の子を持つ親たちへ」P152
男と女って平均寿命が十歳近く違うじゃないですか。何でかって言うと、女の人は自分で晩御飯を作るからだって。買い物行って、「今日何食べたいかしら」で自分の腹に訊いて、「私今日これ食べたい」て言うものを買って作って、子供と旦那はそれを食べる。自分が食べたい物を、食べたい調理法で、食べたい味付けで、食べたい量を食べるということを30年、40年やっていると10年間の差が出ると。
--内田樹「14歳の子を持つ親たちへ」P123
今の女の人の感受性が鈍っている原因の一つに、ダイエットがあると思うんです。「あれが食べたい」っていうのは、必ず身体の中からの欲求があるわけだけども、ダイエットって一日のカロリーを最初に決めてしまうでしょ。つまり、脳が決めているわけです。ということは、自分の身体の中から出てくる「このビタミンが欲しい」、「このミネラルが欲しい」っていうシグナルを全部シャットアウトしないとダイエットって成立しないんです。自分の身体から発信されるそういう微妙な信号を聞かない習慣をつけたら、身体感覚が鈍くなりますよ。
--内田樹「14歳の子を持つ親たちへ」P122
M・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を読むと、国と国との大戦争が起こって本格的な大量殺戮が起こるようになったのが17世紀くらい。それは地図というものが作られだして、みんなが地図を持つようになった時期と重なるっていうんです。
その前は、王様が丘の上に立ったら見渡す限りが自分の土地で、いろんな農作物があって、「ああ、すごい」と思えた。ところがそれを地図で見ると、「なんだ、うちの王様の土地はこれだけか」とか、「グレートブリテンの中のたったこれだけか」となってしまう。「隣の国の領地はこんなにある」って、どんどんヴァーチャルになっていく。実際に地図を見たときに喚起される攻撃性って、普段の百倍ぐらいに膨らんでいるかもしれない。
--名越康文「14歳の子を持つ親たちへ」P110
十歳から十一、二歳。つまり本格的に異性と付き合う勇気は全然持てなくて、一時的に同性愛的な感じになって、すごく深い友情を同性同士でむつみ合う時期があるじゃないですか。これ、チャム世代って言うんです。チャムっていうのは子犬同士がじゃれあうこと言うんですけど。
思春期心理学的な考え方では、この時期を十全に経ないと次のほんとの思春期を迎えられないとも言われています。だからほんとに大事なのは思春期じゃなくて前思春期じゃないかと考える人もいるぐらいなんです。
--名越康文「14歳の子を持つ親たちへ」 P89