心が平安でなく、「自分は悪い子なのではないか」と内心で怯えている人は、外部からの「評価」という名の脅迫に弱い。自分が悪い子ではない、ということを誰かに確認してもらわないと、恐ろしくてたまらないからである。かくしてそういう人は、善悪の判断基準を外部に求め、それに従って思考し、行動することになる。しかし、他人の視線のなかで、他人の地平をスムーズに生きるとき、人は決して平安を見いだすことができない。なぜなら平安とは自分で感じるものであって、人に与えてもらえるものではないからである。
--安冨 歩「マイケル・ジャクソンの思想」