コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。
--内田樹 「生き延びる力」(『こんな日本でよかったね』)P180
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
--内田樹 「人生はミスマッチ」(『こんな日本でよかったね』)P149
勉強が出来ない子ども、あるいはスポーツや芸能の領域で期待通りの成績をあげることのできない子どもを罵倒したり打揄したりする親がいるが、そのような親たちが、「子供の将来に対する懸念ゆえである」と言いつくろっても、私はそれを信じることができない。それよりはむしろ、子どもの無力が、親の(それまで隠蔽してきた)無力を露呈させる裏切りの記号として周囲の人々から読解されるのではないかという恐怖が彼らを駆り立てている可能性を吟味した方がよいのではないか。
--内田樹 「「少子化問題」は存在しない」(『こんな日本でよかったね』)P119
親子や夫婦の関係の本当の価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支えあったかに基づいて考慮される。
--内田樹 「制度の起源に向かって」(『こんな日本でよかったね』)
「相手に私を説得するチャンスを与える」というのは、コミュニケーションが成り立つかどうかを決する死活的な条件である。それは「あなたの言い分が正しいのか、私の言い分が正しいのか、しばらく判断をペンディングする」ということを意味するからである。
--内田樹「コミュニケーション能力とは何か?」
もし私が、私のために存在しているのでないとすれば、だれが私のために存在するのであろうか。 もし私が、ただ私のためにだけ存在するのであれば、私とはなにものであろうか。 もしいまを尊ばないならば ― いつというときがあろうか。 「タルムード」第一編「ミシュナ」より
人は自分が「うすうす考えていたこと」を、だれかが言ってくれると、「この人は物のわかった人だ」と思うのだった。人が賛成するのは、いつも「自分の意見」だ。
南伸坊「免疫学個人授業」
自分が何か出来ることで得られる名誉ではなく、権力としての名誉欲が出てくるというのは、人として精神が老いてきたという証拠なのですから、そういう人たちのいうことを聞いていても、ロクなことにはならないだろうという気がしてなりません。
甲野善紀「武術と医術 ひとを活かすメソッド」
職業や仕事のやり方に、それ自体価値や意味があるわけではない。「全生」する一生の部分として、ふさわしければ行ない、そうでなければやめる。生命や身体のありようにふさわしくない仕事を中心にして生きることは、生命の本来の力を発揮することから離れることになるだろう。個性―性や身体はその一部だ―にあった仕事や生活の仕方を選び、お互いの特性を発揮しながら生きていくことが必要だ。ただ地位や俸給が同じだから「平等」だというのは滑稽だ。
永沢哲「野生の哲学」
教育の意味は、それぞれの個性―体癖はその一部だ―にふさわしいやり方で、自分の特徴を自覚し、活かし、必要なら修正し、十全に生き、満足して死ぬ道を示すことだ。