むしろ大事なのは、仕事以外の生活・人生があることを人々に伝えることです。雇用創出にこだわるのではなく、人間性に重きをおいた生活を作り出すことの方が重要です。その重要性を人々に伝え、納得してもらうことが、私たちの一番の課題です。
--ポール・メイソン「未来への大分岐」P277
そこなんですよ、大事なのは。「身体は子供なんだけども」、「丸顔の中学生のくせに」と言うところ。その乖離の苦しさだけなんですよ。そこにズレがあるということを誰かにわかってもらえれば、「ズレで苦しんでいる自分」というものがもう一つ上の次元に繰り上がって、それ自体が考察や記述の対象になるでしょう。
そのときまでは、「ヴァーチャルな僕」と「生身の僕」が分裂しているわけですよね。文字を書いているのは「ヴァーチャルに大人になっている僕」だから、まわりの愚鈍な人間たちへの憎悪や軽蔑はあっても、自分が「現にまだ子どもであることの苦しみ」は言葉にできない。でも、自分と同じような種類の乖離に苦しんでいる友達に出会うと、「乖離と言う現象そのもの」を記述したり、考察したり、あるいは笑ったり……と言うことが可能になる。そのとき、「乖離という現象そのもの」について語っている「僕」は、もう「ヴァーチャルな僕」でも「生身の僕」でもないわけですよね。「第三の僕」がそこに出現する。中立的な語り手というか、第三者というか、一歩距離を置いて「僕を眺めている」語り手が。
そうなると、丸顔の中学生であるところの自分にもうまくなじめるというか、許せるわけですよね。
--内田樹「14歳の子を持つ親たちへ」P152