親子や夫婦の関係の本当の価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支えあったかに基づいて考慮される。
--内田樹 「制度の起源に向かって」(『こんな日本でよかったね』)
「相手に私を説得するチャンスを与える」というのは、コミュニケーションが成り立つかどうかを決する死活的な条件である。それは「あなたの言い分が正しいのか、私の言い分が正しいのか、しばらく判断をペンディングする」ということを意味するからである。
--内田樹「コミュニケーション能力とは何か?」
もし私が、私のために存在しているのでないとすれば、だれが私のために存在するのであろうか。 もし私が、ただ私のためにだけ存在するのであれば、私とはなにものであろうか。 もしいまを尊ばないならば ― いつというときがあろうか。 「タルムード」第一編「ミシュナ」より
自分が何か出来ることで得られる名誉ではなく、権力としての名誉欲が出てくるというのは、人として精神が老いてきたという証拠なのですから、そういう人たちのいうことを聞いていても、ロクなことにはならないだろうという気がしてなりません。
甲野善紀「武術と医術 ひとを活かすメソッド」
職業や仕事のやり方に、それ自体価値や意味があるわけではない。「全生」する一生の部分として、ふさわしければ行ない、そうでなければやめる。生命や身体のありようにふさわしくない仕事を中心にして生きることは、生命の本来の力を発揮することから離れることになるだろう。個性―性や身体はその一部だ―にあった仕事や生活の仕方を選び、お互いの特性を発揮しながら生きていくことが必要だ。ただ地位や俸給が同じだから「平等」だというのは滑稽だ。
永沢哲「野生の哲学」
教育の意味は、それぞれの個性―体癖はその一部だ―にふさわしいやり方で、自分の特徴を自覚し、活かし、必要なら修正し、十全に生き、満足して死ぬ道を示すことだ。
どれほど立派であろうが、自発的でなければ価値がない。自発性と自律の上に生い茂る協同にこそ人間の可能性はある。
生き生きと生くるものに苦多く、楽続けば眠る也、ただ生き生きと生くるもの、苦を苦とせずそこに潜む快を身に付ける也
野口晴哉
人の生くるや 自力に非ずして他力 他力に非ずして自力なれば也されど 人 自力を信ずべし
効率的であるほど服従的である
--フーコー