ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。
--内田樹「街場の教育論」P156
知らないことを「知っている」と言って、それ以上の努力を止めたとき、その人の成熟は終わります。
--内田樹「街場の教育論」P135
成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを掘り当てること」、これに尽くされるのです。
--内田樹「街場の教育論」P132
「扉を開く」ために最後にしなければいけないこと。それは「その人を教える気にさせる」こと。これはわりと簡単です。「ていねいに頼む」こと、これに尽くされます。
--内田樹「街場の教育論」P124
自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない。
--内田樹「街場の教育論」P59
定年後に本当に自分が好きなことを始めよう、などと遠慮してはいけない。そんな発想は、人生を無駄に消費するだけだ。
ぜひ今すぐにでも好きなことを始めてもらいたい。時間は、どこかを切り詰めれば、かならずひねり出せるものだから。
--「0点主義」荒俣宏 P248
こちらは門外漢でただの物好きだ、という立場で相手に接することで、いろいろな話を引き出すことだできる。逆に知ったかぶりをしてしまうと、相手は構えてろくに話をしてくれないだろうし、いやな気分になることもある。だが、「わからない、知らない」という構えで向かうと、「教えてあげよう」という相手の気持ちを刺激し、相手の知識や情報がこちらに注がれるのである。
もし、こうした姿勢で勉強に取り組んだら、知識やアイデアの吸収は早くて大きくなるはずだ。なにしろ、水は高きから低きに流れていくのだから!
--「0点主義」荒俣宏 P203
コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。
--内田樹 「生き延びる力」(『こんな日本でよかったね』)P180
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
--内田樹 「人生はミスマッチ」(『こんな日本でよかったね』)P149
勉強が出来ない子ども、あるいはスポーツや芸能の領域で期待通りの成績をあげることのできない子どもを罵倒したり打揄したりする親がいるが、そのような親たちが、「子供の将来に対する懸念ゆえである」と言いつくろっても、私はそれを信じることができない。それよりはむしろ、子どもの無力が、親の(それまで隠蔽してきた)無力を露呈させる裏切りの記号として周囲の人々から読解されるのではないかという恐怖が彼らを駆り立てている可能性を吟味した方がよいのではないか。
--内田樹 「「少子化問題」は存在しない」(『こんな日本でよかったね』)P119