今の人は、何をするにしても他人に見せびらかせないと楽しめないところがあるようです。写真を撮影するにも、どこかに公開してみんなから反応がないと楽しめない。でも、自分一人で楽しめないのは、工夫して問題を自分で解決していないからです。
--森博嗣「文系の壁」P49
イモムシが出てくる理由くらいならネットでも簡単に答えが見つけられるかもしれませんが、考える前に調べてしまうと、不思議な現象に対して仮説を立てる経験ができません。
「どうしてかな?」と不思議に思えば、頭を働かせて想像するでしょう。小さい頃にそういう体験をしていないと、考えない大人になってしまうのではないかという気がします。
--森博嗣「文系の壁」P48
何かやりたいこと、成し遂げたいことがあったら、一生それを思い続けなさい。それでダメだったら、二生目も、三生目も思い続けなさい。そうすれば、やがて必ず実ります
--岡潔「数学する人生」(新しい時代の読者に宛てて)P238
算数教育は、まだわからない問題の答、という一点に精神を凝集して、その答がわかるまでやめないようになることを理想として教えればよいである。
--岡潔「数学する人生」(情緒とはなにか)P110
幼児虐待の悲惨な事例がしばしば報道されますけれど、あれだけ子供を残酷に扱えるのは、加害者たちが異常に暴力的であったからというよりはむしろ、「子どもというのは親にとって『不愉快なもの』である」という考えがこの親たちには刷り込まれていたからだと思います。
--内田樹「街場の文体論」P188
学ぶ機会をシステマティックに退ける人に階層上昇のチャンスは訪れません。「オレは知っている」「オレはできる」「オレは誰にもものを頼まない」「オレは誰にも頭を下げない」ということを生き方の規律にしている人はそうすることによって階層下位に自分を呪縛しているのです。
--内田樹「街場の文体論」P128
学生たちに最初から集団について教え、集団的に行動する習慣をつけさせれば、数人寄ってディスカッションをしないと物を考えられなくなる。しかしそれでは少なくとも深いことは何一つわからないのだ。
--岡 潔「春宵十話」P105
共同体というのは非対称の関係なんです。子どものときには親に育ててもらって、大人になったら若い人を育て、老人になったら介護してもらう。そういうふうに回り持ちなんです。いつも他者から支援されているか、支援しているか、どちらかであって、サービスと報酬が等価であるときって、実はいっときもないんです。
--内田樹「日本の文脈」P277
教育というのは、提供する側が手の内を明かさないからこそ、学ぶ側は、自分で気づく喜びがあるような気がするんです。
--釈徹宗「日本の文脈」P252
大体今の子どもで苦しんでるのは、いい子でいようとして自分の悩みを奥底に封印しちゃうっていうパターンが多いね。
--細野晴臣「分福茶釜」P190