知らないことを「知っている」と言って、それ以上の努力を止めたとき、その人の成熟は終わります。
--内田樹「街場の教育論」P135
いろいろな学問領域が不人気になりましたけれど、遠慮なく言えば、その理由の過半は「身内のパーティ」にかまけて中高生たちの欲望を喚起するという仕事を怠ったせいだと私は思います。
--内田樹「街場の教育論」P102
他の専門家とコラボレートできること。それが専門家の定義です。他の専門家とコラボレートできるためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければいけません。
--内田樹「街場の教育論」P92
つまらない仕事なのに、それをしてしまったということは、自分の中で矛盾になってしまう。そのときに報酬が高ければ、それだからやったとごまかせる。ところが、低い報酬でやるとどうしようもないけれど、その仕事が好きだったとか、本当はやりがいがある仕事だったんだと考えて自分の中で一貫させるんです。
--菊池 聡「養老孟司・学問の格闘」P309
だれかが本当に面白いと思ってやっている仕事の話を聞くことは、じつはたいへん幸せなことである。当人が本当に面白いと思っていることは、他人が聞いてもじつに面白いからである。
--養老孟司「養老孟司・学問の格闘」P2
定年後に本当に自分が好きなことを始めよう、などと遠慮してはいけない。そんな発想は、人生を無駄に消費するだけだ。
ぜひ今すぐにでも好きなことを始めてもらいたい。時間は、どこかを切り詰めれば、かならずひねり出せるものだから。
--「0点主義」荒俣宏 P248
こちらは門外漢でただの物好きだ、という立場で相手に接することで、いろいろな話を引き出すことだできる。逆に知ったかぶりをしてしまうと、相手は構えてろくに話をしてくれないだろうし、いやな気分になることもある。だが、「わからない、知らない」という構えで向かうと、「教えてあげよう」という相手の気持ちを刺激し、相手の知識や情報がこちらに注がれるのである。
もし、こうした姿勢で勉強に取り組んだら、知識やアイデアの吸収は早くて大きくなるはずだ。なにしろ、水は高きから低きに流れていくのだから!
--「0点主義」荒俣宏 P203
好きなことを長くつづかせるには、一つの条件がある。これは勉強にも当てはまるが、つねに相手方と「ギブ・アンド・テイク」の関係がつくれないと実現しない、ということだ。たとえば、自分の趣味がどこかで会社にメリットを与えること、好きなことをする代わりに何か一つを犠牲にすること、などなど。
--「0点主義」荒俣宏 P182
社会成員の全員が、自分でコントロールし、自分でデザインできる範囲の社会システムの断片を持ち寄って、それをとりあえず「ちゃんと機能している」常態に保持すること。私たちが社会をよくするためにできるのは「それだけ」である。
「社会を一気によくしようとする」試みは必ず失敗する。
それは歴史が教えている。
--内田樹 「変革が好きな人たち」(『こんな日本でよかったね』)P254
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
--内田樹 「人生はミスマッチ」(『こんな日本でよかったね』)P149